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駅の文化遺産といえば…

  • 執筆者の写真: ディーン・ノダ
    ディーン・ノダ
  • 14 時間前
  • 読了時間: 2分

駅の文化遺産といえば、ふと立ち止まってしまうものがある。


YORISOTTE 筆文字セラピスト(松戸・市川、柏)
YORISOTTE 筆文字セラピスト(松戸・市川、柏)


それが、伝言板だ。

伝言板
伝言板

最近、駅で伝言板を見かけるだろうか。


黒板にチョークで「先に帰るね」とか、「改札前で待ってる」とか、そういう、いま思えばやけに人間くさい言葉たちが、当たり前のように並んでいたあの場所。


偉そうに書いているが伝言板を使ったことはなく、想像。割と携帯世代


いまや連絡手段は、手のひらの中に収まってしまった。スマートフォンという、便利で、そして少し無機質な存在に。


公衆電話もずいぶん減った。けれど、災害時という切り札を持っているぶん、まだ社会に居場所がある。


それに比べて伝言板はどうだろう。役目を終え、静かに撤去されていく運命にある。


はずなのに…


私の最寄り駅には、なぜか、まだある。


しかも、堂々と。

ただ書かれているところは見たことがない。


それでもそこにある。


理由は…


よくわからない。


ただ、よく考えてみると、コストはほとんどかからない。置いておいても、誰も困らない。使われなくても、誰も怒らない。


あえて理由は駅員さんには聞かない。これが江戸っ子だ!。

江戸っ子ではなくチャキチャキの田舎者な私。


つまり、存在すること自体に意味が移行してしまったのだ。


機能から、象徴へ。

実用から、記憶へ。


そう考えると、伝言板はもはや「レトロな設備」ではなく、


文化遺産」と呼んでもいい気がしてくる。


駅という日常のど真ん中に、ひっそりと紛れ込んだ、時間の化石のようなもの。


遺産とは、生活に必須ではない。


けれど、そこにあった時間を、確かに証明してくれる。


これこそが遺産。ピラミッドだって、そうだ!!お城もそうだ!!


街を歩いていると、そういう“ぎりぎり残っているもの”に出会うことがある。そして気づく。


人間は案外、思い出でできている生き物だということに。


以前、実家で小学生のころの習字を見つけた。半紙いっぱいに書かれた、やけに勢いのある文字。


「うまっ!」


と、思わず声が出た。誰に頼まれたわけでもなく、自分で自分を褒める。なかなかいい気分だ。


自分遺産。

自分絶賛。


悪くない。むしろ、積極的に推奨したい文化である。


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