赤ちゃんは天使の場面に遭遇
- ディーン・ノダ

- 39 分前
- 読了時間: 2分
タイトル通りの記事を。

夕刻の電車は、春のやわらかい空気をまとって、どこか気の抜けた表情をしていた。混みすぎず、空きすぎず。だいたい六割ほどの乗車率というのは、人の気配を感じながらも、自分の輪郭を保てる、ちょうどいい密度だ。
八人がけのシートに腰を下ろし、ぼんやりと流れる景色を眺めていると、次の駅でひとりの若者が乗り込んできた。彼は、私の、ひと席あけて座る。
そして印象的な態度で。
足は前方に放り出され、
姿勢は四十五度ほど傾き、
大音量の音楽をガンガン。
無作法の、その様子。
けれど若さとはそういうものかもしれない、とも思う。6割ぐらいの混雑なら自由になりたくなるだろう、と。
車内は空いているとはいえ、人の流れは絶えない。乗り降りする人々が、彼の足元をそっと避けて通っていく。
当の本人は、音楽の中にすっぽりと収まり、外界との接点を失っているようだった。
さて、どうしたものか。ひと言、声をかけるべきか。そんなことを考え始めた、ちょうどそのときだった。
お母さんと、ベビーカーに乗った赤ちゃんが乗り込んできた。彼らは、若者の向かいの席に落ち着く。
発車の揺れのあと、ふと視線の糸が張られる。
赤ちゃんが、じっと若者を見ているのだ。
あの、まっすぐで、なんの含みもない視線。世界をそのまま受け取るような、透明なまなざし。やがて若者も、その視線に気づく。
そして、次の瞬間。
若者は笑った。赤ちゃんに向かって、にこりと、驚くほどやわらかく。
さらに、手を振り、赤ちゃんに応える。
スマートフォンの音楽はいつのまにか止まり、姿勢もすっと正されている。
ついさっきまでの、あの斜めに傾いた世界の住人は、もうそこにはいなかった。代わりに現れたのは、どこに出しても恥ずかしくない、ひとりの好青年だった。
人は、こんなにも簡単に変わるのか。いや、変わるのではなく、もともと持っていたものが、ふと顔を出しただけなのかもしれない。
それにしても
赤ちゃんという存在は、ときに神様よりも直接的に、人の心に働きかける。
まさに天使。
抗えない力とは、ああいうものを言うのだろう。



コメント