カフェって人間模様の図書館だァ
- ディーン・ノダ

- 6 分前
- 読了時間: 3分
と、言い切ってしまっていいのか少し迷う。
けれど、たぶんこれは言い切った者勝ちの類いの発見である。
みなさん、カフェ、行きますか?

かつての私は、カフェとは「ちゃんとした時間を過ごす場所」だと思っていた。
美味しい珈琲を飲み、背筋を伸ばして本を開き、あるいは静かに仕事をする。
いわば、少しだけ自分を良く見せるための装置。そんなふうに、どこかよそ行きの顔で座る場所だった。
しかし、YORISOTTEメンバーの中に、ひとり、とんでもない達人がいる。いや、達人たちがいる。
達人に言わせると、
カフェは「人間観察の場」であり、
「観察の修行」であり、
さらには「無料で楽しめる舞台」
なのだという。
無料、とは言いながらしっかりワンコインは払っているのだけれど、その対価に対して得られる情報量と臨場感が、あまりにも割に合わないほど豊かだ、という意味での“無料”らしい。妙に納得してしまった。さすが達人。
それを聞いてから、私もこっそり訓練を始めてみた。
耳をすませる。
すると、不思議なことに、あの「カントリーロード」がどこからともなく脳内に流れてくる。映画のワンシーンのように、目の前の光景が少しだけドラマチックに見えてくるのだ。
電話越しに、「おかん」と制服の解釈について激しく衝突している学生。
隣では、父と子が一言も交わさず、それぞれのスマホゲームに没頭している静かな共闘関係。
さらに奥には、歯切れのいい営業トークを繰り出す保険の女性と、それに押され気味で、どこか自信のなさそうな若いサラリーマン。
どの席にも、小さな物語がある。
ページをめくる必要はない。ただ、視線を少し動かせばいい。
ああ、これはたしかに図書館だ。
しかも、ジャンル分けがされていない、雑多で、だからこそ面白い図書館。
検証を重ねた結果、さらにひとつ気づいたことがある。
こういう“物語の密度”が最も高いのは、少し洒落た店ではなく、むしろどこにでもあるチェーンのカフェだということだ。
誰でも入れる、という敷居の低さが、そのまま登場人物の幅広さにつながっている。
均一な内装の中に、不均一な人生が詰め込まれている。
それが、なんとも言えず、いい。
目的を持たずに入るカフェほど、豊かな時間になることがある。
何かをしに行くのではなく、何かが起こるのを眺めに行く。
そんな贅沢が、ワンコインで手に入るのだから、世の中は案外やさしい。
そんな、最近のカフェ活の話。



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