ジャンルを超えた大谷翔平を作る気か!?
- ディーン・ノダ

- 2 時間前
- 読了時間: 4分
本当にどうなるのだろう、と最近よく思う。

少し前までは、未来のことを考えるとき、どこか遠い世界の話のような感覚があった。
空飛ぶ車とか、火星移住とか、そういうやつだ。どこかSF映画の棚に置かれている未来。
しかしAIだけは違う。これはもう、完全に現実だ。
巷ではAIという言葉を見ない日はない。
ニュースでも、SNSでも、ビジネス記事でも、気づけばAIが登場する。
「またAIか」と思いつつも、しっかり読んでしまうのは、やはり無関係ではいられないからだろう。
本当に便利だ。これまでの検索、ITサービスとは違い、学習してくれるのもスゴい…。。
どんだけ優秀やねん!
ちょっとした文章を整えたり、調べ物をしたり、
時には自分の思考を整理する壁打ち相手にもなってくれる。
人間より文句を言わないし、夜中でも働いてくれる。
こう書くと、なんだかブラック企業の理想の社員のようで少し怖い。
以前からAIに関する本は読んでいるのだが、最近ふと気づいたことがある。
2024年頃のAI本と、2025年下期あたりのAI本では、明らかに雰囲気が違うのだ。
少し前までは、どちらかと言えば技術者向けの内容が多かった。プログラムがどうとか、アルゴリズムがどうとか、読む側にもそれなりの前提知識が求められる本。
ところが最近は、一般向けの本がとても増えている。
しかも「AIとは何か」という説明よりも、
「どう使うか」「どう組み合わせるか」という話が中心になっている。
つまり、
もう理解する段階ではなく、使う段階に入った
ということなのだろう。
そんなことをぼんやり考えていたとき、
図書館で2023年に出版されたAIの本を読んだ。
これが少し驚いた。
その本は技術の説明よりも、AIが社会に浸透した未来の生活について書かれていた。
2023年時期、多くのAI本は、どちらかと言えば前向きだ。
AIが普及しても、人間には創造力がある。
だから人間はよりクリエイティブなことに集中できる。
そんな希望に満ちたトーンが多い。
しかしその本は、少し違っていた。
そこに描かれていたのは
AIが前提で成り立つ社会だった。
人間の不安定さを排除した存在としてのAI。
感情のムラもない。
体調の波もない。
知識の忘却もない。
そう考えると、たしかにAIは恐ろしく優秀だ。
そして知識だけではなくフィジカルAI(ロボット)の活用も、もうすぐだと思う。
だって、今までのように話しかける、答えるの置き型ではなく、なめらかに動く、場面を想定して動ける、記録する、学習する。24時間働ける。(充電切れをのぞく)
もう、あっちこっちに、どの世界でも通じる大谷翔平じゃねーのかよ!!二刀流じゃ足りず…
街中、ロボットだらけになるかも?(いや、本当にそうなると思う…)
人間は、感情や体調、知識の偏りなど、さまざまな不安定さを抱えている。
それが個性であり、魅力でもあるのだが、合理性だけで見れば弱点とも言える。
AIは、その弱点をすべて飛び越えてしまう。
そしてその議論の根っこにあったのが、教育の意味。
これまで社会では「知識を持っている人」が優位だった。
しかしAIが前提の社会になると、知識の優位性はほとんど意味を持たなくなる。
なぜなら、AIのほうが圧倒的に知っているからだ。
そうなると「学校で学ぶ意味は何か?」という問いが生まれる。
もちろん学校が不要になるという話ではない。むしろ逆で、学校で学ぶ内容が変わるという話だ。
知識ではなく、人間同士の関係性や経験、つまり「人として生きる力」に焦点が移っていく。
もし今のように高校や大学で勉強し、社会に出たときにはAIが中心の世界になっていたら、
そこで使われる知識の多くはAIが処理する。
人間がするのは、その知識をどう使うか、誰とどう関わるか、という部分になる。
そう考えていくと、仕事と生活の境界も変わってくるのかもしれない。
仕事はAIベース。
これは経済活動を考えると人間の脆弱性を排除したいため。
私生活は人間ベース。
ここが本来の辿り着くポイント。
そんな分離した世界が、案外普通になるのではないかと思う。
未来のことはわからない。ただひとつ確かなのは、私たちは今、確実に新しい時代の入口に立っているということだ。
便利さに感心しながらも、どこか少しだけ不安を感じる。
そんな不思議な気持ちが交差している。
さて、来年、いや、来月、いや、明日はどうなるのか?
そんなスピード感を感じるのは、自分だけではないようが気がする…
と偉そうに書き、不安を煽るような内容でしたが、新しいモノに関しては常に不安が付き物であり、どんどんチャレンジしようと。



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