テレビがない生活を振り返って
- ディーン・ノダ

- 1月26日
- 読了時間: 2分
わが家のテレビが、6年目にして突然壊れました。リモコンは反応せず、再起動を試みても動く気配はなく、そのまま静かに役目を終えたようでした。
普段、テレビを見る機会といえば、朝の天気予報くらいのものです。そのため、「しばらくなくても困らないだろう」と考え、修理や買い替えはせず、そのまま1か月ほどテレビのない生活を送ることにしました。
情報収集の面では、ラジオや新聞、そしてスマートフォンがあれば十分で、日常生活に支障を感じることはありませんでした。むしろ、「テレビがなくても特に問題はないものだ」と感じていたほどです。
しかし、1か月が経った頃、思いがけずある変化に気づきました。
わが家では、リビングにテレビが1台だけ置いてあります。食事の前後、何気なくテレビをつけ、流れてくるニュースを見ながら家族で言葉を交わす――そんな時間が、いつの間にか日常の一部になっていました。テレビが壊れてから、その「何気ない会話」が明らかに減っていたのです。
テレビがない生活では、どうしても一人ひとりがスマートフォンを見る時間が増えてしまいます。ラジオも試してみましたが、子どもたちの関心を引くことは難しく、テレビの代わりにはなりませんでした。
そこで、ようやく重い腰を上げ、新しくテレビを購入しました。すると、不思議なことに、あの“いつものリビングの雰囲気”が自然と戻ってきました。
1か月間テレビのない生活を経験したからこそ、気づけたことがあります。今でも積極的にテレビを見るわけではありませんが、「同じものを、同じ時間に、みんなで見る」という行為そのものが、ひとつの大切なコミュニケーションなのだと感じるようになりました。
スマートフォンやラジオ、新聞は、どうしても個人の世界になりがちです。その点、テレビは家族で共有できる数少ないメディアのひとつです。改めて、その存在の大きさを実感しました。
ふと思い返すと、昔ながらの居酒屋さんや中華屋さんには、たいていテレビが設置されています。テレビをきっかけに、自然と会話が生まれる。話題に困ったときにも、さりげなく会話の糸口をつくってくれる存在です。
テレビのない生活を経験したからこそ、テレビが果たしている本当の役割に気づくことができました。現在の視聴時間は、1日10分にも満たないと思います。それでも、「そこにある」というだけで、暮らしに与える影響は思った以上に大きいものだと感じています。




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